「ニッポンの役に立ちたい」 もうひとつのトモダチ作戦
外国人ボランティア、被災地で奮闘
舞い上がる砂ぼこり、山積みのがれき、倒壊したままの家屋、異臭――。あの瞬間から5カ月がたった今も、津波の傷痕に苦しむ東日本大震災の被災地。復興の戦力となるボランティアの人数は5月のゴールデンウイーク以降、減少傾向にあるのが実情だ。そんな中、円高をものともせず、夏休みを利用して遠い日本にボランティアに来る外国人が増えている。民間レベルで続くもうひとつの「トモダチ作戦」を追った。

東北地方で初めて世界文化遺産に登録された「平泉の文化遺産」(岩手県平泉町)からそう遠くない一ノ関駅から、緑と霧に覆われた山道を車で1時間ほど進むと、被災地支援のNGO(非政府組織)クラッシュジャパン(東京都東久留米市)の拠点「一関ベースキャンプ」がある。
クラッシュジャパンは2004年の中越地震を機に設立されたキリスト教系の援助団体で、世界中からボランティアを受け入れて活動している。東日本大震災では、被災地に支援物資を供給しているほか、ボランティアを派遣するなどで救援活動を展開。一関のほか、仙台市や岩手県遠野市など合計5カ所に活動拠点を設けている。一関ベースキャンプは気仙沼市や陸前高田市などの被災地に車で約1時間の距離だ。

被災地の光景にショック
外国人ボランティアたちの朝は早い。毎朝午前6時前に起床。朝食を済ませ、9時前には被災地のボランティアセンターに出向く。近くの気仙沼市のボランティアセンターなどでは、毎日9時ごろに仕事の割り当てが決まるからだ。
この日に彼らに割り振られた仕事は、津波の影響で2階部分の床下まで浸水したという家屋の清掃。大量に発生したハエが体にまとわりつくなか、マスクとゴーグルを着け、がれきが散乱する家の中に入る。

「こんな光景は見たことがない。まるで、原爆が落とされた後のヒロシマのようだ」――。がれきの山となった気仙沼市の街並みを見ながら、カリフォルニア州サンディエゴの大学院生テイラー・イェンさん(23)は絶句した。
現場に到着すると、車中では談笑していたボランティアたちの目つきも変わり、すぐさまスコップなどを手に取ってがれきの撤去作業や床磨きを始める。1つの作業が終わっても、すぐに次の作業を見つけて作業を続ける光景は午後3時まで続く。

「日本行き」反対の家族を説得
はるばる海を越えて奉仕する彼らを突き動かすものは何なのか――。カリフォルニア州フラートンの大学に通うベス・ワージントンさん(20)は「言語も文化も異なる日本は遠い存在。震災前は自分が日本を訪れるとは思ってもいなかった」と打ち明ける。しかし「震災のニュースを見て、心が動かされた。実際に被災地に行って、助けなくてはならないと感じた」と話す。
ニューヨーク州バッファローの大学生フランク・アンさん(23)も「命を落とした人のことを考えると心が痛む。せっかくの夏休みを無駄にしてはいけない」とボランティアを決意した。
外国人ボランティアの家族の多くは、福島第1原発の事故の影響を心配して、彼らの「日本行き」に当初は反対した。ただ、彼らの熱意を理解し、サポートに回ってくれた家族も多いという。

米国からの場合、日本に来るための費用は1人当たり約4000ドル。学生たちは、知人に手紙を送って支援を募ったという。「自分の分も被災地のために働いてきて」と彼らを応援してくれる人も少なくないそうだ。彼らの滞在期間は約2~4週間。観光する予定はほとんどなく、ボランティア活動に終始して離日する。
被災地で高い評価
外国人ボランティアたちのまじめな仕事ぶりは、被災地でも高く評価されている。自宅の清掃を彼らに手伝ってもらったという気仙沼在住の小野寺由美子さんは最初、「なんでわざわざ日本まで来てくれたのだろう」と驚いたという。だが、彼らの働きぶりを見て「今までで一番、片付いた。本当にありがたい」と涙ぐみながら感謝の気持ちを表現する。「家がきれいに直ったら、遊びにきてほしいとみんなと約束した」

午後5時。一関ベースに戻って来たボランティアたちの中に、リーダーとして学生たちを引き連れてカリフォルニア州サンノゼから来たビクター・クォンさん(57)がいた。「1軒1軒、助けていく。小さい努力かもしれないが、それが大きな被災地復興につながる。こういった支援をこれからも続けなくてはならない」と力を込める。ビクターさんは、来年もまたボランティアとして被災地に来る予定だ。
米国は震災直後から米軍による「トモダチ作戦」を展開し、支援活動をおこなった。在日米大使館のカレン・ケリー報道官は「トモダチ作戦は終わったが、米国政府と米国人による支援は続く」と話す。これからボランティアに参加するという、サンモール・インターナショナルスクール(横浜市)で中高等部校長を務める米国人トレント・シトラノさんも「トモダチ作戦の精神は民間レベルに根付いている」と力を込める。
ボランティアの1割超が外国人

外国人ボランティアは、米国以外の世界各地からも日本に次々到着している。7月に岩手県大船渡市や陸前高田市で約2週間、ボランティア活動をした南アフリカの学生ら11人は、ケープタウンから約21時間かけて日本にやってきた。
旅費は1人約2万ランド(約23万円)。リーダーのバーニー・トレプトウさん(32)によると「円高でコストも上昇、資金が集まらず来日を諦めかけたメンバーもいた」という。
外務省によると、少なくとも16カ国43の非政府組織(NGO)団体がボランティア活動のために来日した。気仙沼市社会福祉協議会ボランティアセンターには、外国人のボランティアは毎日途切れることなく訪れ、全体の1割にものぼるという。「日本人は週末だけの活動が大半だが、外国人は長期滞在者が多いので助かる」(宮古市災害ボランティアセンター)という話も多く聞かれる。

日本人のボランティアはどうだろうか。全国社会福祉協議会によると、東北3県のボランティア参加者の延べ人数はおよそ59万5000(7月24日時点)。ただ、阪神大震災で兵庫県が算出した発生4カ月時点でのボランティア参加者数に比べると半分程度だ。
クラッシュジャパン本部で働く米国人ラモナ・ガーネットさん(41)は「東京は震災前と変わらない状況になりつつあるが、被災地のことを忘れてはダメ」と訴える。「愛の反対は憎しみではなく無関心」――。マザーテレサの言葉の意味は大きい。
(電子報道部 岸田幸子)