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市役所より早く動いた製鉄所

「メードバイJAPAN」第4部(2)

「希望学」の東大・中村尚史教授インタビュー

岩手県釜石市は日本初の高炉による鉄の生産が始まった地。日本の近代化を支えた一方で、戦前からも度重なる津波の襲来をうけ、戦中は艦砲射撃の標的になった。戦後はリストラの連続でもあった。「希望学」の調査で釜石に詳しい東京大学の中村尚史教授に、危機の歴史が生んだ釜石の強さなどを聞いた。

東京大学の中村尚史教授

――新日本製鉄の釜石製鉄所は周囲の予想以上に早く復旧した。

「驚いたのがいざという時の組織力だ。製鉄所は市役所より早く動き、協力会社の家族も含めた安否確認に動いた。さらに被災者には所内のお風呂を開放していた。OB組織である鉄友会も独自に会員の全数調査を実施。各地区ごとに置いている幹事を通じ、幹事が被災した場合は事務局が乗り込んで安否を調べた」

――安否情報が持つ意義とは。

「津波の恐ろしさは(町や人が流されるなどして)人の生死が分かりにくい点にある。安否が不明のままでは家族は避難所巡りを続けなくてはならない。これを組織がやってくれた。従業員は仕事に戻ることができ、製鉄所の復旧につながった。安否確認から製鉄所での復旧、生産再開までがスムーズに動いた」

――何が関係者の素早い動きを支えたのか。

「危機感の裏返しではないか。釜石製鉄所は常に閉鎖の危機と闘ってきた。(第2次世界大戦中の)艦砲射撃、稼ぎ頭だったレールの生産休止、合理化計画に伴う大形工場閉鎖や高炉休止も経験した。そして東日本大震災。OB会も製鉄所の撤退という"風評被害"を恐れている。一日も早く製鉄所を動かし、大丈夫ということをアピールしたかったのだろう」

「新日鉄内では製鉄所間の競争が激しい。他社との競合もあるが、まずは社内の競争に勝たないと生き残れない。本社の指示待ちではなく、各事業所が自律的に動くのは当然でもあった。今回の復旧局面でも本社は製鉄所からの要望への対応に徹していたようだ。釜石にはOB組織も含めて歴史の重みがある。日ごろのネットワーク形成がいざという時に生きた」

――釜石製鉄所が持つ強みとは。

「優秀な労働者が集まり、釜石地域を支えているという自負から士気が高いことだろう。中学校や高校を卒業した若者のうちのエリートを集めていた。新日鉄誕生前から存在した製鉄所であり、釜石のシンボルでもある。4月13日の再稼働前に現地を訪れたが、OBや市役所からも早く製鉄所が動いてほしいとの声が聞かれた」

――釜石製鉄所の今後の復興・発展のポイントは。

「製鉄所は規模は小さいが、高付加価値の製品を作ることでカバーしてきた。それには継続した設備投資が必要だ。今回の震災はそのきっかけになるかもしれない。労働者も熟練度の高い人が必要で、技能伝承が円滑に進むかどうかがポイントになるのではないか」

(聞き手は中尾良平)

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