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赤松良子(4) 東京へ

津田塾への思い断ち難く 赤飯炊き幸運祈ってくれた母

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1945年8月15日、疎開先で終戦を迎えた。大阪・天王寺の実家は、6月の大空襲で焼け落ちていた。父が若いころから描きためていた絵もほとんどがアトリエごと失われた。

父はどんなにがっかりしたことだろう。それでも終戦で「これからまた良くなる、だんだん良くなる」と、前向きに言い続けていた。

実際、世の中は明るくなった。もう空襲を心配しなくてもいい。新しい時代がくる、という解放感があった。

夕陽丘高等女学...

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