三菱電機会長 柵山正樹(3)
志岐守哉さんの色紙
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大学院ではトライボロジー(摩擦・潤滑学)を研究していた。どうせやるなら最も難しい発電機の軸受けに挑戦したいと考えて1977年、三菱電機に入社した。希望していた大型タービン発電機の開発部門に配属された。
初任地は神戸製作所だった。志岐守哉副所長(後に社長、会長)はタービン発電機の大先輩だ。残業を済ませて会社を出ると、健康保険組合の施設で食事を済ませた先輩たちが志岐さんの家に向かうところに出くわした。私も一緒...
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