春秋
[有料会員限定]
戦前からプロ野球で活躍したロシア出身の投手、ビクトル・スタルヒンには「須田博」の日本名を強いられた時期がある。外国人や外国語排斥の動きが強まっていた1940年、球界は世間の批判を恐れ、本名を塗り消したのだ。やがて試合への出場も許されなくなる。
▼当時の排外主義はさまざまな分野に及んでいた。ストライクを「よし」、アウトを「ひけ」と唱えた野球だけではない。バイオリンを「瓢箪(ひょうたん)型西洋三味線」...
この記事は会員限定です。登録すると続きをお読みいただけます。
残り371文字
関連キーワード