フィギュアスケート女子の安藤美姫(トヨタ自動車)が海外に拠点を置くようになって早くも5年がたった。当初は外国アレルギーもあったというが、今ではすっかり慣れ、むしろ海外の方が過ごしやすいという。フィギュアスケートだけでなく、様々なシーンで外国で暮らす日本人が多くなった昨今。海外で生き抜くコツは、「自分の意思をはっきりと伝えること」だそうです。
最初はマネジャーと同居
初めて海外に行ったのはジュニアの2年目、中学2年生のときだったと思います。場所は米国のデトロイト。(1994年世界選手権で優勝した)佐藤有香さんのところへ振り付けしてもらいに行ったんです。
その後、05-06年のトリノ五輪シーズンに、初めて米国で住んだんですが、そのときはマネジャーが一緒に住んで下さった。そばに日本人のいてくれる環境だったし、英語の必要性は感じなかったですね。
「英語ぐらいは話せないと」
ですが06年、ニコライ・モロゾフコーチに師事したとき、言われました。「トップクラスのスケート選手が英語くらいは話せないと、視野が広がらないよ。会見で通訳をつけているのは日本人くらいだ」
確かにその通りですが、(英語で話さなければならないと思うと)苦痛でした。でも、早朝のリンクに行ったときに必ずいた中国系の女子選手が、私のつたない英語を一生懸命に聞いてくれて助けてくれました。
気持ちがあれば通じる
今、ロシアのセルゲイ・ボロノフ選手らと練習していますが、彼らは英語が話せません。だから英語に関しては、私が、かつて中国系の女の子にしてもらったような役割をしています。でも、私もロシア語を勉強したいので、私はロシア語で話しています。聞こうとする気持ちと、伝えたいという思いさえあれば、けっこう通じるものです。
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