元横綱初代若乃花の花田勝治氏(元日本相撲協会理事長)が9月1日、82歳で亡くなった。不世出の大横綱の一人。この相撲界で初代若乃花の名前は永久に不滅だろう。
1日の宮城野部屋の稽古場。横綱白鵬が、若い衆を相手に仏壇返しでたたきつけた。「若乃花さんの(得意だった決め手)でしょ」。白鵬があこがれた横綱は双葉山だけではない。
若乃花という力士は若いころから生死の境を、そして家計を背負いながら生きてきたから、だれもまねのできないとてつもない横綱になったのだと思う。
戦争で傷痍軍人になった父に代わって働いた。船から陸に、地下足袋にふんどし一本でゆさゆさ揺れるアユミ(幅30センチくらいの岩壁と船に渡す長い板)の上を歩いた。命がけだ。他の人が70~110キロの鉄鉱石や石炭をかつぐところを、国民学校を卒業して間もない花田少年はパイスケという籠(かご)に150キロもかついで何度も往復した。時には、鉱石もろとも海中まっさかさまということもあったという。ついにはひとり200キロを超すものもかつぐようになり、大人のだれもかなわなくなった。
大人の倍は稼いだ。鉱石の入っているタンクに落ちて「死んで行くのはこういう気持ちか」と思うこともあった。3000ボルトの電圧に触れて頭をハンマーで殴られたように吹っ飛ばされたこともあったという。
九死に一生を得たというか、助からない命も助かったことは一度ならずあったということである。
あるときの地方場所で稽古を見ていて驚いたことがある。
朝、8時ころだろうか。「おい、おまえ今から頭に振りかける整髪料を買ってこい」
若いお相撲さんは、困惑しきって「まだ、店は開いていません」というやいなや、ものすごい雷が落ちた。「なに! そういうときは店の人を叩き起こすんだ。それも社会勉強だ。それ行くんだ」。見てるものはハラハラするだけ。この親方のやり方(社会勉強)とはそういうものだった。度胸をつけさせようという若乃花流のなのだ。
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