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震災から1年 女川町の横転ビル群を写真で比較

2012/2/29 6:30
ニュースソース
日本経済新聞 電子版

 津波によって複数の鉄筋コンクリート(RC)造ビルが横転した宮城県女川町を再訪した。日経アーキテクチュアが昨年(2011年)4月1日に現地を取材した時には、鉄骨造を含む計6棟の横転ビルが確認できた。このうち現在も残っているのは、女川交番など3棟だけだ。この3棟は女川町が昨年9月に定めた復興基本計画で、「災害遺構として保存」する建物の候補となっている。

海岸から100mほどの所に倒れたままの女川交番。女川町が保存候補のひとつに挙げ、事業費の募金を募っている(写真:日経アーキテクチュア)

海岸から100mほどの所に倒れたままの女川交番。女川町が保存候補のひとつに挙げ、事業費の募金を募っている(写真:日経アーキテクチュア)

横転した女川交番を西から見る(写真:日経アーキテクチュア)

横転した女川交番を西から見る(写真:日経アーキテクチュア)


震災直後は一帯が地盤沈下で水没し、立ち入り禁止だった。左隣(西側)にも横転した建物があったが、現在は撤去されている(写真:日経アーキテクチュア)

震災直後は一帯が地盤沈下で水没し、立ち入り禁止だった。左隣(西側)にも横転した建物があったが、現在は撤去されている(写真:日経アーキテクチュア)

保存候補の一つである女川サプリメントのビル。海岸近くに現在も横転したまま残る(写真:日経アーキテクチュア)

保存候補の一つである女川サプリメントのビル。海岸近くに現在も横転したまま残る(写真:日経アーキテクチュア)

横転した女川サプリメントのビルを北側から見る(写真:日経アーキテクチュア)

横転した女川サプリメントのビルを北側から見る(写真:日経アーキテクチュア)


震災直後の同ビル。周辺が水没していて反対側から見られなかったため、RC造・2階建てと報じたが、3階建てだった(写真:日経アーキテクチュア)

震災直後の同ビル。周辺が水没していて反対側から見られなかったため、RC造・2階建てと報じたが、3階建てだった(写真:日経アーキテクチュア)

横転した江島共済会館も保存候補。このビルはRC造ではなく、鉄骨造(写真:日経アーキテクチュア)

横転した江島共済会館も保存候補。このビルはRC造ではなく、鉄骨造(写真:日経アーキテクチュア)

高台に立つ女川町立病院から、横転した江島共済会館(写真中央左)を見下ろす。緑色の部分が本来の屋上と思われる。右奥の赤茶色の建物は、女川町の観光拠点だったマリンパル女川(写真:日経アーキテクチュア)

高台に立つ女川町立病院から、横転した江島共済会館(写真中央左)を見下ろす。緑色の部分が本来の屋上と思われる。右奥の赤茶色の建物は、女川町の観光拠点だったマリンパル女川(写真:日経アーキテクチュア)

同じ位置から見た震災直後の状況(写真:日経アーキテクチュア)

同じ位置から見た震災直後の状況(写真:日経アーキテクチュア)


 これら3棟は「津波の挙動研究、学術的な価値も高く、今後の津波被害軽減のための基準を作る上でも大変貴重なもの」として、保存候補に選ばれた。女川町は保存事業のための募金口座を開設し、募金を募っている(詳しくは、女川町企画課復興推進室まで)。

 同町復興対策室によると、これまでに約200万円の募金があった。募金者は仙台市や県外の人が多いという。対して、町民からは「悲惨な被害を思い出したくない」という声が少なくない。同町復興対策室は「遺構保存については今後も町民の声を聞いて検討していく」と話す。

■3棟以外の横転ビルは解体撤去

 保存候補の3棟以外の横転ビルは既に解体撤去された。日経アーキテクチュア2011年4月25日号の表紙に掲載した建物も既にない。

現在の女川町市街地を東側(海側)から見る。横転した4階建てRC造のビル(右の写真)は既に解体された。被災建物やがれきの撤去はかなり進んでいる(写真:日経アーキテクチュア)

現在の女川町市街地を東側(海側)から見る。横転した4階建てRC造のビル(右の写真)は既に解体された。被災建物やがれきの撤去はかなり進んでいる(写真:日経アーキテクチュア)

震災直後は海岸から約200m離れた高台の下に、4階建てRC造のビルが倒れていた(写真:日経アーキテクチュア)

震災直後は海岸から約200m離れた高台の下に、4階建てRC造のビルが倒れていた(写真:日経アーキテクチュア)


 海岸から150mほど離れた場所に横転していたRC造・2階建てのビルも解体された。

海岸から約150mの地点に倒れていた2階建てRC造の建物(右の写真)は解体された(写真:日経アーキテクチュア)

海岸から約150mの地点に倒れていた2階建てRC造の建物(右の写真)は解体された(写真:日経アーキテクチュア)

震災で横転した2階建てRC造の建物。解体撤去された(写真:日経アーキテクチュア)

震災で横転した2階建てRC造の建物。解体撤去された(写真:日経アーキテクチュア)


 横転ではないが、壁が壊れて貫通したRC造のビルも既になかった。

津波で壁が壊れて貫通したRC造の建物(下の写真)があった場所(写真:日経アーキテクチュア)

津波で壁が壊れて貫通したRC造の建物(下の写真)があった場所(写真:日経アーキテクチュア)

津波で壁が壊れて貫通したRC造の建物。上の写真と同位置から見る(写真:日経アーキテクチュア)

津波で壁が壊れて貫通したRC造の建物。上の写真と同位置から見る(写真:日経アーキテクチュア)

壁が貫通したRC造の建物の全景。冷凍施設を持つ倉庫だったと思われる。解体撤去された(写真:日経アーキテクチュア)

壁が貫通したRC造の建物の全景。冷凍施設を持つ倉庫だったと思われる。解体撤去された(写真:日経アーキテクチュア)


 市街地は、保存候補の3棟を含む建物数棟が残るのみで、広大な更地となりつつある。

海岸近くに横転する女川サプリメントから西に広がる市街地を見ると、数棟の建物が残るのみとなった(写真:日経アーキテクチュア)

海岸近くに横転する女川サプリメントから西に広がる市街地を見ると、数棟の建物が残るのみとなった(写真:日経アーキテクチュア)

■ホームの痕跡だけが残る女川駅

 昨年4月1日には立ち入り禁止となっていた北側市街地にも行ってみた。JR石巻線・女川駅は津波で流されたままで、再開の見通しは立っていない。

女川駅はホームの痕跡だけが残っている。同駅は、復興される街の中心部の位置に合わせて移設される見込み。奥に見える建物は解体中の女川町生涯教育センター(写真:日経アーキテクチュア)

女川駅はホームの痕跡だけが残っている。同駅は、復興される街の中心部の位置に合わせて移設される見込み。奥に見える建物は解体中の女川町生涯教育センター(写真:日経アーキテクチュア)

 駅の近くにある女川町役場も大きな被害を受け、使われていない。

津波で大破した女川町役場の現況(写真:日経アーキテクチュア)

津波で大破した女川町役場の現況(写真:日経アーキテクチュア)

 市街地を見下ろす高台の上に建つ女川町立病院も津波被害を受けたが、病院機能はほぼ回復していた。

高台に建つ女川町立病院の現況(写真:日経アーキテクチュア)

高台に建つ女川町立病院の現況(写真:日経アーキテクチュア)

女川町立病院の震災直後の状況。津波は高台の上にも及んだ(写真:日経アーキテクチュア)

女川町立病院の震災直後の状況。津波は高台の上にも及んだ(写真:日経アーキテクチュア)


女川町立病院のエントランス周辺の現況(写真:日経アーキテクチュア)

女川町立病院のエントランス周辺の現況(写真:日経アーキテクチュア)

震災直後の同病院のエントランス周辺。流された車が木に引っかかり、1階ではガラスの多くが割れていた(写真:日経アーキテクチュア)

震災直後の同病院のエントランス周辺。流された車が木に引っかかり、1階ではガラスの多くが割れていた(写真:日経アーキテクチュア)


 坂茂氏が中心となって設計した3階建て仮設住宅は、高台をかなり上った女川町町民野球場内に建つ。隣接するグラウンドではゲートボールを楽しむ高齢者たちの姿も見られた。

女川町町民野球場内に建設された3階建て仮設住宅(写真:日経アーキテクチュア)

女川町町民野球場内に建設された3階建て仮設住宅(写真:日経アーキテクチュア)

 女川町は昨年9月に定めた復興基本計画に基づいて、具体的な土地利用の検討を進めている。住宅地は安全な高台もしくは地盤かさ上げ地に移転する方針だ。

女川町中心部の土地利用計画案。2011年12月8日時点(資料:女川町)

女川町中心部の土地利用計画案。2011年12月8日時点(資料:女川町)

(日経アーキテクチュア 宮沢洋)

[ケンプラッツ 2012年2月27日掲載]


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