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若者の散歩 なぜ広がる? 安く、友人と思い出共有
エコノ探偵団

2011/10/24 7:00
ニュースソース
日本経済新聞 プラスワン

 「友人たちと散歩を楽しんでいる若い人を最近よく見かけます」。近所の主婦の話に探偵の深津明日香が興味を示した。「健康維持につながるから中高年の間で広がっているのは知っているけれど、なぜ若者が?」。早速調査に乗り出した。

 「多くの若者を見た」という主婦の情報を基に、明日香は下町風情が残る東京都台東区の谷中にやってきた。そこで目にしたのは、4~5人のグループが布に手書きした地図を片手に散歩する姿。文化イベントの企画・運営を手掛ける「谷中のおかって」が主催する、街を巡る催しだった。

サークル登場

東京の下町、谷中を巡るツアーには多くの若者が参加した(16日、東京都台東区)

東京の下町、谷中を巡るツアーには多くの若者が参加した(16日、東京都台東区)

 友人と参加した会社員の井上麻央さん(29)は「細い路地など普段は立ち入らないところも見られました」と満足そうだ。おかってが昨年始めた谷中巡りは定員がすぐいっぱいに。今夏実施した夜のツアーは20日間で延べ約530人が集まった。「半数以上が20~30歳代でした。若い人は確かに増えています」と代表の渡辺梨恵子さん(26)。

 慶応、明治など大学には次々と散歩を楽しむサークルが登場していた。その一つ「Tokyo skywalker」は東京大学の学生が中心。9年前の発足時は7人だった会員は約100人に膨らんでいる。

 10月初旬、この中の20人が東京都板橋区の高島平団地周辺に出かけた。日本社会の縮図になっていると授業で聞いたからだ。同行した明日香に小茅生(こがよう)直輝さん(20)は「一緒に体験して思い出を共有できる。飲み会とは違う楽しさがあります」と話してくれた。

 すると、後輩探偵の松田章司から電話が入った。「書店に若者向けらしい、おしゃれな表紙の散歩ガイドがたくさん並んでいます」。明日香は出版社のJTBパブリッシング(東京都新宿区)に向かった。

 同社が昨年10月発売した東京の散歩ガイドは、発行部数が5万部に達した。小松田淳さん(47)は「日常生活をつづるブログに、おしゃれな店や街の写真を添付する若い女性が増えています。その人たちの撮影ポイントにもなるよう町案内にしました」と教えてくれた。愛読者は男性にも広がっているそうだ。

 「散歩って特に目的もなく歩くのかと思っていたけど」。辞書にも「気晴らしや健康のために、ぶらぶら歩くこと」(広辞苑第六版)とある。小松田さんは「旅行と散歩の境目があいまいになってきましたね」と認める。訪問先の雰囲気や情緒にふれて面白い店などを探そうとするのが、若者の散歩であり、旅行のスタイルだという。

 だから、行き先は観光地に限らない。JTBパブリッシングのガイド本「るるぶ」は「杉並区」や「大田区」なども発行。以前出した練馬区は当初目標の4万部を上回る6万部を売り上げた。「ずいぶん散歩のイメージが変わったわ」。明日香はうなずいた。

街振興に一役

 身近な場所を訪ねる若者は、各地の商店街にとって新しい顧客になる。最近人気という神奈川県横須賀市の本町商店会(通称どぶ板通り)に問い合わせると、副会長の川口泰弘さん(39)が答えてくれた。川口さんは「おしゃれなカフェもできました。芸術を専攻する学生を集めたイベントなども開き、にぎわいを取り戻しています」と話す。

 「でも、なぜ散歩なのかしら」。明日香は若者の消費行動に詳しい博報堂の原田曜平さん(34)に聞いてみた。原田さんは「友達同士で歩けば、途中で見つけた何かをネタに盛り上がることができます。無理なくゆるくつながれることが、今の若者に合っているのでしょう」と分析する。

 「あまりお金がかからないのも魅力ね」。明日香がメモをまとめていると、「それどころか、かなりお得なんです」の声。値ごろ感を研究する専修大教授の徳田賢二さん(63)だった。

 徳田さんによると、値ごろ感は「価値」を「費用」で割った値で測れるのだそうだ。値が大きいほどお得に感じる。散歩は分母の費用が非常に小さい。目的がないから分子の価値もそれほどないはずだが、若者の散歩は違う。風景を楽しめ、店を見つけられ、友達とのつながりが深まる。分子はどんどん大きくなる。

気持ち新鮮に

 「海外旅行より散歩というのも値ごろ感からみれば当然です」。旅費は安くなったが、事前準備など時間はコストと見なされ、費用は小さくない。名所巡りならインターネットなどで疑似体験が可能で、価値は大きく落ちた。徳田さんが授業で約150人にアンケートしたところ、約6割が「散歩している」と答えた。

 「今の若者の行動範囲は狭いって聞くけれど、散歩の人気はどう捉えればいいのかしら」。そこで若者とコミュニティーについて調べている慶応大SFC研究所研究員の古市憲寿さん(26)に疑問をぶつけた。

 「身近な関係や幸せを大切にする『コンサマトリー』とよぶ価値観が若者の間で確かに広がっています」。古市さんは切り出した。身近に幸せを感じるから、遠くに行く必要はない。「ただ、いつも親しい仲間と一緒だったり、行き慣れた場所しか出かけなかったりすると、次第に閉塞感が出てきます」

 これを打ち破るため、無理せずに新しい体験をしてみようという気持ちが湧いてくると古市さんはみる。ちょっとした発見を仲間とできる散歩はピッタリなわけだ。さらに、自分の考えや趣味に合うグループでの旅なら思い切った出費もいとわない。ボランティアツアーや、好きな映画のロケ地などを巡る旅などがその典型。「若者の生活圏が広がるかもしれませんね」。明日香は報告をまとめた。

◇ ◇ ◇

 「私も下町を散歩してきます」。張り切る明日香を所長がからかった。「おしゃれな店で衝動買いばかりしていると、値ごろ感が下がってしまうよ」

<これも調べました>レジャーはどう変遷?

 若者のレジャーへの消費は時代を映す鏡でもある。日本では1930年代、健康意識の高まりに加え、鉄道各社の後押しもありハイキングがブームに。若者人口が増え始めた50~70年代は、出会いの場として「合ハイ(合同ハイキング)」が盛んになった。

 就職や進学で都心に人が押し寄せた高度成長期の60~70年代は、都市部で楽しめるボウリングが大ヒットした。お金がかかったスキーが絶頂期を迎えたのはバブル経済の余韻が残る90年代前半。バブル後は費用もかからず、長く楽しめるカラオケに皆が足を向けた。

 人口が増え、人々が豊かになった江戸時代もレジャーは盛んだった。日本生産性本部余暇創研の柳田尚也主任研究員は「特定の干支(えと)の日にお堂に集まり、夜通しおしゃべりや食事を楽しむ行事などがあちこちであった」と話す。

 最近の注目は、ある場所にとじ込められたとの想定で、参加者が協力して謎を解き、脱出する「リアル脱出ゲーム」だ。近場でちょっとした非日常を味わえる点は散歩と共通する。デフレが続き、閉塞感が漂う社会から抜け出したいとの思いが、脱出ゲームには表れているのかもしれない。

(高橋恵里)


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