チベット問題を重層的に描き、中国問題全般や国際関係を映し出す鏡ととらえるスタンスが興味深い、非常に読み応えのある本だ。その上、人間や社会の根幹に関わる問いを各所にちりばめている。
取材対象はダライ・ラマ14世から、チベット人共産党員、2008年の暴動に関係した人、北京に住むチベット人活動家、ヒマラヤ越えに挑んで亡命する人、亡命先からチベットに戻る人に至るまで多岐にわたる。中国政府も宗教的地位を認めるチベット仏教界ナンバー3のカルマパ17世(2000年にインドに亡命)や約10年もの獄中生活を経て僧衣を脱いだ故パンチェン・ラマ10世の娘からも貴重な話を聞き出している。
中国政府が喉から手が出るほど欲しいものがチベットにある。たとえば、ダライ・ラマのカリスマ性だ。ダライ・ラマが自らの力の移譲と民主化推進を提案しても、人々は法王を特別な存在としてそれを望まない。中国のリーダーにこれほどの権威があれば、どれだけ中国を統治しやすいことか。
ダライ・ラマの提唱する宗教的寛容、人道問題や環境保護への配慮は世界の人々の共感を呼ぶ。一方で中国政府はソフトパワーにおいてダライ・ラマの足元にも及ばず、そのプロパガンダは冷めた目で見られている。著者は問いかける。「ダライ・ラマが戦いを挑んでいるのは現代中国のどの部分か」
しかし、ダライ・ラマに依存しすぎるチベットもジレンマを抱えている。ダライ・ラマ亡き後の未来はなかなか見えてこない。また、中国の金・情報に及ぶ「パワー」は増すばかりだ。経済力を誇示して強引な外交を展開し、サイバー攻撃にも関わっていると言われる。
チベットの最期のときを見守るより大事なのは、「中国のふるまいを注視すること」と著者は述べる。中国政府は「安定維持」を理由に言論を統制し、民主化の芽を摘もうとするが、それを中国人は望んでいるのか。共産党政権にとっての脅威はダライ・ラマというより、もはや容易に服従しなくなった国民ではないか。本書は、チベット問題を通して、力を持ち始めた中国が、自らの在り方を一層問われていることを浮かび上がらせる。
(早稲田大学准教授 阿古智子)
[日本経済新聞朝刊2012年1月8日付]
著者:ティム ジョンソン.
出版:英治出版
価格:2,310円(税込み)
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ティム・ジョンソン、ダライ・ラマ14世、阿古智子、中国、チベット問題
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