適応障害の診断を受けてから8年目。こんなにも長く症状が続くとは正直思ってもいませんでした。
内服薬等の金額も相当かさんでいますが、障害者自立支援法の中に「自立支援医療制度」というものがあり、通院医療費の自己負担に限り、原則として医療費の一割負担の軽減措置があると知りました。この制度でだいぶ医療費が助かっています。まだ申請されていない方は、各市区町村の社会福祉課等に問い合わせてみて下さい。
改めてこの8年を振り返ると、適応障害と診断を受け、入院治療をし、また元の学校法人の職場に復職。それでも年数回の入院を繰り返し、内服薬の調整をしながら、それでも、職場に入れば、いつもと変わらぬ自分を演じ続けてきました。
入院が数回続いたころ同じ学校で働く主人から、私について学内で「自己都合による退職」との方向で話が出ていると聞かされました。職場の理解がどんなに必要か、一番わかっているはずの職場に籍を置いているというのに……。
産業医を置き、メンタルヘルスケアに積極的な企業が増えてきたとは聞きますが、ほとんどの企業は精神的な疾患になってしまった社員へのサポートはほぼゼロに近いように思います。
例え病院を受診し、適応障害の診断を受けていたとしても、身体症状が現れ、無表情で愛想がなくなっているような社員に対して、職場の上司、同僚とも寛容とはいえない社会なのではないか、という気がしています。主治医から休養が必要だと言われても診断書を出せず、無理して倒れるまで仕事を続けている人たちも多いと思います。目にはっきりと「傷」が見えない心の病だからこそ。
働く上でまず必要なのは、もちろん家族の理解ですが、職場全体の、特に管理職の方々の理解が絶対に必要です。多くの企業などの中に、ぜひメンタルヘルスのサポートをする部署等が増えて行ってほしいと願っています。
ナースとして招かれたある保育園で、8年前を上回る身体症状が出て、退職を余儀なくされました。退職の2週間前に主治医が診断書を書いてくれたのですが、「まだ私は続けていける、やることがある」と勝手に思い込み、診断書を出さずに2週間が過ぎました。
失声症となり、「もう入院しかない」という状態で新たに診断書を書いてもらい、今度は上司に提出しました。でも、渡されたのは退職届の書類でした。
入院生活の間に、約28年間常勤職として働いてきた様々な思いが脳裏を駆け巡りました。そして、これからは仕事を選び、私を理解してくれる社会で仕事をしていこうと思っています。ある学校法人の非常勤講師も決まり、また海外旅行添乗ナースの仕事も月に1回、そして、介護現場と病棟勤務の仕事も決まっています。
仕事をするうえで、「自分は心の病気を持っている」と特に言う必要性が、いつもあるとは思いません。しかし、もし、心の病になってしまい、休養の必要性が出た時、職場にメンタル的なフォローをしてくれる組織がないとしたら……。気がついたら退職届が机上に、となりかねません。よくあるケースですが、悲しいことです。
心の病気は、いつ、誰がなっても決して不思議ではありません。今や幼少期の子供ですら、うつ病になる時代です。
適応障害に対する偏見を捨て、正しい知識をみんなが持ってほしいと、心から願っています。
(野村良子さんの項はこれで終わります。次回は読者の方のご意見や連載の舞台裏を紹介します)
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野村良子(のむら・よしこ) 1960年生まれ。看護師。都内の学校法人に勤務していた2003年、異動を機に適応障害を発症し9カ月入院。地域住民を対象にした「心の相談室」で勤務しながら自らも治療を続ける。09年に退職。デイサービスセンター勤務、保育園勤務を経て、海外添乗看護師。
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「患者は働く」は、病気やその後遺症と折り合いをつけながら働き続ける姿を紹介するコラムです。本人にとっての働く意味やその上での工夫、周囲の配慮などについて、乳がん、クローン病、脳卒中、腎臓移植、適応障害の5人の筆者が毎週リレー形式でつづります。
適応障害、メンタルヘルス、障害者自立支援法