「スパイは死なず」を地でいった快作。怪作でもある。
当方の加齢のせいもあるのか、この頃、「老骨もの」がいやに目につく。消えもせず、衰えもせず、やたら元気な高齢者の話だ。なかでも本作は出色。なにしろ、ヒーローは認知症。自分が何者だったかわからなくなっている老人なのだ。
このキャラクターとスパイ小説のストーリーとが、渾然(こんぜん)一体と化した。スパイ小説の人間像の核には虚偽がある。人を欺くことが仕事だ。何が真実で何が嘘なのか。複雑な「虚」の世界を泳ぐうちに、自分でも混乱する。精密機械であるはずの記憶システムが、一般人より早くパンクしてしまうというわけ。
彼が一時的に記憶を取り戻すには、或(あ)る条件が必要。それが、競馬狂でロシア・マフィアに多額の借金のある不肖の息子。この小説の隠れたテーマは不仲だった父と子の和解でもあった。
父子の相克というよくある話が、「お笑い」によじれていきそうな物語をシリアスに引き締めている。
冷戦終結後、絶滅種とささやかれたこのジャンルだが、まだまだ元気な老人パワー。熊谷千寿訳。
★★★★
(評論家 野崎六助)
[日本経済新聞夕刊2010年10月27日付]
★★★★★ これを読まなくては損をする
★★★★☆ 読みごたえたっぷり、お薦め
★★★☆☆ 読みごたえあり
★★☆☆☆ 価格の価値はあり
★☆☆☆☆ 話題作だが、ピンとこなかった
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