今年も「敗戦記念日」が近づいてきました。私は毎年、この日が近づくと必ず教育の大切さについて、深く考えます。
私は昭和20年8月15日を、姫路の特攻基地で迎えました。「予科練ではなくドカレン」とからかわれたように、飛行機の整備ではなく飛行場の整備に追われていました。それがあの日突然、ラジオの前に集まるように言われたのです。しかし、ラジオからはただガーガーという音だけで、何も聞こえてこない。整列する私たちの頭上で旋回している飛行機の姿とその爆音が印象的でした。
8月28日だったと思います。奈良海軍航空隊から実家の下呂に帰ることになりました。着のみ着のままの状態で、コッペパンと一握りの米を持たされ、特別列車に乗り込みました。高山線に乗り換える岐阜駅に着いたのは深夜。駅の周辺にいた、両親を亡くした子どもたちと焚(た)き火にあたりながら、パンを分け合って夜明けを待ちました。
朝になると、駅の改札には多くの大人たちが集まってきました。「あなたは何処から帰ってきたの」「うちの息子を知らないか」と腕をつかまれ、こと細かに尋ねられました。列車が駅に着くたび、自分の子どもがいないか探しにこられていた親御さんたちです。安否につながる情報を少しでも欲しかったのでしょう。必死の形相が今も忘れられません。
「なぜ、神風は吹かなかったのか」。私は実家に着くとすぐに、父親にこう聞いたのを覚えています。15歳の少年は学校で教わった通り、日本は必ず勝つと信じていました。負けたなどと言うことは断じて受け入れられなかったのです。
多くの大人も当時の政治に洗脳されていました。だから戦後しばらく、日本は殺伐としていました。飛騨の田舎でも小競り合いが絶えなかった。浜松では銃撃戦があった、と後で聞かされました。いまの日本からは想像できないくらい、怒りと失望感が街中にあふれていました。
鈴木修、ドカレン、敗戦記念日、ラジオ、教育、敗戦、特攻基地、飛行機
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