さよなら亨平先生(震災取材ブログ)
@福島・南相馬

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2013/3/29 7:00
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 2013年1月22日の午後8時すぎ、電話が鳴った。福島県南相馬市の友人、高橋荘平君からだった。「先ほど父が亡くなりました」。言葉にならずに電話を切った。荘平君の父の名前は高橋亨平先生。福島県南相馬市の原町中央産婦人科医院の院長だった。震災直後から福島第1原発事故の影響で人口が激減した同市で診療を続け、放射能への不安におびえる妊婦たちを勇気づけてきたが、11年の夏に末期の直腸がんが見つかった。

最後まで現場で診療を続け、1月22日に死去した原町中央産婦人科医院の高橋亨平院長(2011年11月、福島県南相馬市)
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最後まで現場で診療を続け、1月22日に死去した原町中央産婦人科医院の高橋亨平院長(2011年11月、福島県南相馬市)

 「余命半年の産婦人科医が診療と除染活動を続けているらしい」。そんなニュースを目にして、先生に初めて会ったのは11年の秋だ。貴重な時間を割いてもらう感謝と申し訳なさで、緊張して病院を訪れたところ、先生は、ぼそぼそとした素朴な口調で話し始めた。復興へのアイデアに満ちていた先生の話は止まらず、次の患者を待たせたまま30分以上が経過。看護師さんの視線を感じながら、診療後の写真撮影の約束を取り付けた。

 手術室などで撮影しながら市の現状を聞いた。先生は振り絞るような声で「子どものいない町に未来はないからね」と語った。当時、地域医療の中核を担う南相馬市立総合病院に、内部被曝(ひばく)線量を計測するWBC(ホールボディーカウンター)の設置を、関係機関への粘り強い交渉の末、ようやく成功させたばかりだった。「これでようやく、継続的に子どもたちを計測できる。お母さんたちにも『安心』を数字で見せることができる」と、その日初めて笑顔を見せた。

病院の手術室で撮影した写真が先生の遺影となった
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病院の手術室で撮影した写真が先生の遺影となった

 亨平先生は福島県富岡町出身。福島県立医科大を卒業後、1971年から原町市立病院(現南相馬市立総合病院)で働きはじめ、80年に原町中央産婦人科医院を開業してから取り上げた赤ちゃんは1万人を超える。市民は先生にとって家族同然だった。「これから、南相馬除染研究所という社団法人を立ち上げ、効果的な除染について実証実験をするつもりだ」。詳しい話を聞こうとすると次男の荘平君を紹介された。

 大きな目鼻立ちと穏やかな口調が父譲りの荘平君は37歳。医師の道は歩まず、大学中退後、病院事務を手伝いながら過ごしていた。お父さんの命を受け、病院の看護師寮の1階スペースに「南相馬除染研究所」を設立、活動を開始したところ、医療、土木、教育業界や放射能測定機器メーカー関係者など、多彩な人材が集まり地元行政を超えるフットワークで、妊婦宅の除染などを開始した。

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