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スポーツとともに 選手にひかれた40年
スポーツコメンテーター フローラン・ダバディ

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2017/3/26 6:30
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 サッカーには「リベロ」というポジションがある。語源は「自由」という意味で、守備の一員でありながらプレーの自由度が高い。広い視野に加え、ときには司令塔的な役割も求められる。様々な立場からスポーツに関わり、リポーターとして40カ国以上を訪れた知見に基づき、競技や地域の枠組みを越えて論じる。

 僕は1974年に生まれた。フランスのスポーツが栄華を極める時代の夜明けに当たる。テレビでスポーツを見た最初の記憶は80年のウィンブルドンテニス、ビヨン・ボルグとジョン・マッケンローの決勝戦だ。有名なタイブレークは今でも語り草になっている。

プラティニやイノー、ブランコ…

 初めてスタジアムに行ったのは81年だ。祖父に連れられ、パルク・デ・プランスでフランスとオランダのサッカーワールドカップ(W杯)予選を見た。ミシェル・プラティニが決めたフリーキックはフランスサッカーの歴史の1コマになっている。

F1といえば、プロストとセナ。特にセナの髪形が好きだった

F1といえば、プロストとセナ。特にセナの髪形が好きだった

 ロードレーサーのベルナール・イノーにも夢中になった。夏休みになると別荘があるレ島を兄と自転車で駆け回ったものだ。日曜日の定番はF1。マクラーレンのアラン・プロストとアイルトン・セナである。

 父は大のラグビー好きだった。フランスにはセルジュ・ブランコという世界一の選手がいた。そのプレーは優雅そのもの。まさにピューマだった。ブランコはアマゾンから遠くないベネズエラ生まれだが、母がバスク地方の出身だった。いかにも多様な文化が交錯するフランスらしい。フランス人としてローラン・ギャロス(全仏オープンテニス)を最後に勝ったヤニック・ノアも出身地はカメルーン。アフリカ人の父とフランス人の母を持つハーフである。

 国民的英雄のプラティニも両親はイタリア系移民だ。プラティニはシャツの裾をパンツから出して大きなおなかを隠していた。そんな体形でもその空間把握能力には天賦の才があり、建築家のように、誰よりも早く、ピッチのすべてが見えてしまうのだ。スペインとメキシコのW杯ではフランスを準決勝に導いた。

フローラン・ダバディさん

フローラン・ダバディさん

 プラティニは初めて他国のビッグクラブでプレーしたフランスのスター選手でもあった。スポーツ界に自国主義の名残があった82年、イタリアのユベントスに移籍するとフランス国民は激怒した。けれども僕は大満足だった。欧州チャンピオンズカップ(現UEFAチャンピオンズリーグ)でパリサンジェルマンとユベントスがぶつかった時、9歳になったばかりの僕は客席から大声を張り上げてプラティニの名を連呼した。4万人のサポーターの中でユベントスを応援していたのは僕ひとりだったろう。だがどれだけ熱狂的なサポーターでも、子どもなら大目に見てくれる。

 僕は自分の町や国よりも選手自体が好きだった。彼らのキャラクター、プレースタイル、ユニホームに魅せられていた。斜めに赤い筋が入った82年のペルー代表のユニホーム、ステファン・エドバーグのバックハンドスライス、アンドレ・アガシのジーンズ。セナの髪形やブランコのジグザグステップも好きだった。

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