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「自由」掲げた同大の知将 関西ラグビーと傑物たち(3)
軌跡

2017/8/9 17:00
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 早稲田大・大西鉄之祐の「接近・連続・展開」に明治大・北島忠治の「前へ」。ラグビーの名将の功績はしばしば彼らのスローガンとともに語られる。同志社大を率いた知将、岡仁詩のそれは「自由」だった。

 岡の誘いを機に1983年、同大に入った元神戸製鋼の綾城高志(ラガール7ウエスト監督)は「軍隊形式の練習ではなく学生の個性を尊重し、高校生が憧れるカラーだった」。

 同大での現役時代に星名秦に教わり、師と同様に屈指の理論家となった岡はプレーも独創的なものを好んだ。トライを取るために編み出した戦術は数知れず。フルバックが攻撃ラインに加わる早大の作戦「カンペイ」も、岡は「うちの方が早くやった」と教え子の坂田好弘(関西ラグビー協会会長)に打ち明けている。

 自由というカラーが定着する契機になったのは試練だった。指導者になった当初の岡は猛練習を課す熱血漢だったが、73年、練習中に体調不良を訴えた部員が心臓衰弱で帰らぬ人に。岡は責任を取って監督を辞任、チームはそのシーズンの公式戦出場を辞退した。

 岡は悔恨に駆られた。体格も能力も異なる選手に一様に厳しい練習を課すことは間違いではなかったか――。そんな疑念が、やがて選手の自主性を重んじる姿勢へとつながっていった。

 76年に監督に復帰すると全体練習に2時間の上限を設定。そこで満足しない選手は自ら個別練習に励んだが、それこそが指揮官の狙いだった。高い自主性を備えた選手たちは試合でも自由にプレーを創造。80年度の全国大学選手権で初優勝すると、82年度からは史上初の3連覇を達成した。

 自宅に選手を招きホルモン焼きなどでもてなした岡は「包容力があり、誰もがしゃべりやすい人だった」と坂田。監督然とすることを嫌った、真の“自由主義者”だった。(敬称略)

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