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礎築いた不屈の理論家 関西ラグビーと傑物たち(2)
軌跡

2017/8/8 16:53
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 1910年、慶応義塾生の手ほどきで関西で初めてラグビーに触れたのは旧制第三高等学校、現在の京都大の学生たちだった。その京大が関西のルーツ校とされるのは「関西ラグビーの父」、星名秦を監督に擁したことも影響している。

星名氏(左端)の創造性は多くの関係者に影響を与えた
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星名氏(左端)の創造性は多くの関係者に影響を与えた

 米国で生まれ、7歳で京都に移り住んだ星名は60年に京大監督に就いた。海外から専門誌を取り寄せて最先端の理論を研究。多くの戦術を編み出し、気鋭の理論家として知られた。

 独自の戦術の一つがスクラムでの「やじり戦法」。第1列の3人が、それぞれ対面する選手でなく中央の選手を目がけて圧力をかける。3対1で押すことで相手の両端の選手を無力化し、面白いように押せた。

 京大フォワードは他チームと比べて軽量。様々な戦術の発想の原点となったのは「小よく大を制す」の精神だった。日本ラグビー協会技術委員長も務めた星名の創造性は、元日本代表監督の大西鉄之祐ら多くの関係者に影響を与えた。

 星名は戦時中、南満州鉄道に技術者として勤めた。緻密な運行ダイヤを作れる数少ない人材としてソ連軍に重用され、終戦後も邦人の引き揚げ作業に従事。ただ、強圧的な軍幹部の下での勤務に身をむしばまれ、胃潰瘍などを患う。44歳での帰国時は総白髪だった。

 日本に帰り、しばらくは抜け殻のようだった星名の心境を、京大時代の教え子で新日鉄釜石と京大の元監督、市口順亮はこう推測する。「満鉄で機関車の仕事に就いたが、戦後の日本では機関車が下火になり落ち込んだ。知見を発揮する場を失った挫折感が、新たな情熱となってラグビーに向かったのではないか」

 同志社大でも指導し、後半生の全てをラグビーにささげた星名。不屈の精神は時代を越えてラガーマンの範になっている。(敬称略)

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