夕日が照らす極楽浄土 四天王寺(時の回廊)
日想観の法要 大阪市天王寺区

2014/10/3付
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 中世の頃まで、大阪の姿は現在とはかなり違っていた。上町台地の西側には海が迫り、視界を遮る建物や森林もない。聖徳太子が創建した四天王寺(大阪市天王寺区)の辺りは大阪湾の方向に沈む夕日を眺める絶好の場所だった。

四天王寺西門(極楽門)で行われた日想観の法要(大阪市天王寺区)
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四天王寺西門(極楽門)で行われた日想観の法要(大阪市天王寺区)

 中世は浄土信仰が広がった時代でもあった。釈迦の没後1500年後には仏の教えが守られない恐ろしい末法の世が来る。阿弥陀如来のいる極楽浄土に導いてもらおうと、人々は祈りをささげた。

■修行の中心地に

 はるか西方にあるとされる極楽浄土に行くにはどうすればいいのか。観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)はその方法として、浄土の情景を思い浮かべる修行「観想」を16種類、記している。その最初に説かれているのが、西方の浄土を思って日が没する様子を見詰める「日想観」。四天王寺はその修行の中心地としてにぎわったという。

西門の西にある鳥居の扁額(へんがく)には「ここは極楽の東門」という意味の文字が描かれている(大阪市天王寺区)
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西門の西にある鳥居の扁額(へんがく)には「ここは極楽の東門」という意味の文字が描かれている(大阪市天王寺区)

 春と秋の彼岸の中日、四天王寺からは六甲山系と淡路島の中間の水平線に沈む夕日が眺められた。四天王寺の南谷恵敬執事は「真西の方向が山でも島でもなく海である立地もあって、ここが日想観を修める絶妙の場所と考えられたと思います」と語る。

 真偽は不明だが、日想観修行の最古の例は延暦6年(787年)に行った真言宗の祖・空海とされる。浄土信仰は皇族・貴族から庶民の間にまで広まり、遅くとも11世紀には四天王寺の西門が極楽浄土の東門に接しているという信仰が確立していたらしい。

■信仰、長く途絶える

 ただ近世以降の日想観に関する史料は少なく、修行や信仰としての日想観は長く途絶えていた。四天王寺が年中行事として日想観の法要を始めたのは2001年秋のことだ。音頭をとった現執事長の瀧藤尊淳さんは「長い歴史の中で廃れたり、簡略化されていった法要を昔の姿に戻そうという機運が生まれ、この時期に様々な行事を復活させたり、新たに始めたりしました」と振り返る。

 法要が始まるのは彼岸の中日になる春分・秋分の日の午後5時20分。夕日が西門(極楽門)の間から見えるほど沈む時間に合わせて、僧侶が表白文や発願文を読み上げ、集まった信者らも一緒になって般若心経を唱える。

 復活初年には二十数人しかいなかった参加者は年々増え、今年9月23日の秋分の日、門の周辺は身動きできないほどの人で埋まった。

 大阪市営地下鉄谷町線の四天王寺前夕陽ケ丘駅から徒歩約5分。
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 大阪市営地下鉄谷町線の四天王寺前夕陽ケ丘駅から徒歩約5分。

 5年前から参加している70代の女性は西門の間近に立った。「お彼岸のお参りに来て初めて知り、それから毎年2回欠かさず来ています。それまで夕日を真剣に見詰めることなんてありませんでした」

 法要の終盤、導師を務めた瀧藤さんが日想観文を読み上げた。「一切衆生(いっさいしゅじょう)、みな日の没するを見よ。まさに想念を起こして正座して西に向かい、あきらかに日を観(かん)ずべし」。あかね色に染まった西の空を見詰め、人々が祈りをささげる。

 薄い雲に遮られ、夕日ははっきりとは見えない。ただ、目を閉じても夕日が浮かぶようにするのが日想観である。「私には見えます」。瀧藤さんの説法に笑い声が起きた。

文 編集委員 堀田昇吾

写真 三村幸作

<より道> 一心寺の窓、西の空眺めやすく

 四天王寺の西約200メートルにある一心寺は、縁起に日想観が関わっている。四天王寺の別当の招きで当地を訪れた浄土宗の宗祖、法然が日想観を行う最適の場所に結んだ草庵が寺の発祥だからだ。草庵を訪れた後白河法皇と法然が一緒に日想観を修ずる絵画も寺に伝わっている。

一心寺日想殿には夕日をイメージしたステンドグラスがある(大阪市天王寺区)
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一心寺日想殿には夕日をイメージしたステンドグラスがある(大阪市天王寺区)

 前住職の高口恭行長老は、戦災で焼失した寺の復興で日想観を意識していた。大阪万博のお祭り広場の設計にも関わった建築家の顔も持つ高口さんは、1977年に建てた現代建築の信徒会館を「日想殿」と名付け、西の空を眺めやすいよう窓を大きくとる設計にした。

 現代彫刻の仁王像が目を引く斬新な山門(97年完成)からも、西に沈みゆく太陽が見える。「寺を都市の広場のような場所、夕日を浴びて輝く場所にしたいと考え、様々なことをしてきました」と振り返る。

 新古今和歌集編者の一人、藤原家隆が死の間際、日想観のために移り住んで結んだ夕陽庵が夕陽丘の地名の由来だ。高口さんは「京都から熊野詣でに行く際、この辺りで最初に海に沈む夕日が見られた。それでこの地が夕日の名所になったのではないか」と推測する。

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