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天武天皇の理想 浮かぶ 薬師寺・白鳳伽藍(時の回廊)
奈良市

2017/3/17 6:00
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 奈良市の薬師寺で1967年から続く伽藍(がらん)の復興が今年、50年目の節目を迎えた。僧侶が修行や食事をする場だった食堂(じきどう)が5月に竣工する見通しで、進行中の東塔の大修理が済めば、主要な堂塔の再建が完了する。創建時の白鳳時代を彷彿(ほうふつ)とさせる伽藍は、680年に建立を発願した天武天皇の思いも浮かび上がらせる。

■復興50年目に

夕日に染まる薬師寺の金堂(左)と西塔。右端は解体修理中の東塔
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夕日に染まる薬師寺の金堂(左)と西塔。右端は解体修理中の東塔

 薬師寺は7世紀末に藤原京(奈良県橿原市)に建てられた本薬師寺が原型で、710年の平城京遷都に伴い現在の西ノ京に移った。平安期の火災と室町期の兵火で伽藍の大半を失い、江戸期以降は東塔と仮建設の金堂・講堂だけが残った。

 「写経を通じた勧進によって白鳳時代の金堂を再建したい」。伽藍復興は、故高田好胤氏が管主に就任した67年から始まった。金堂の落慶は70年代。その後、80年代に西塔や中門、2000年代には大講堂がそれぞれ再建された。企業や個人の寄付を受けつつも、費用の多くを写経の勧進で賄っており、食堂の落成で「白鳳伽藍」の大半がそろう。

 薬師如来を本尊とする薬師寺が白鳳伽藍にこだわるのは、天武天皇への尊崇の念がある。天皇の建立発願は、一般的には皇后(後の持統天皇)の病気治癒の祈願がきっかけとされる。だが、村上太胤管主は白村江の戦い(663年)で唐と新羅の連合軍に敗れた後の国造りへの意気込みがあったと指摘する。「天武天皇はお薬師様の東方浄瑠璃浄土を東の果ての国、日本に見立てた。唐に対抗できるような立派な理想の国を造ろうと思われたのだろう」

 実際、天武天皇の治世は日本の基礎ができた時代だ。律令制を整え新冠位を定め武装強化した。宗教では伊勢神宮を重んじ道教を取り入れ仏教も保護した。

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 「白鳳伽藍には国造りへの熱意を映したような躍動感がある」と村上管主。白鳳様式最大の特徴は、三重塔の各階層にある軒下の裳階(もこし)と呼ばれる庇(ひさし)。重厚な飛鳥時代とは異なる動きのある造形によって六重塔のような華やかさがある。

■東塔も再建進む

 食堂に続いて公開が待たれるのが東塔だ。現在、大がかりな解体修理が進むが、その過程で薬師寺の白鳳伽藍への思いが改めて露(あら)わになった。

 昨年12月、年輪年代測定などの調査結果を奈良文化財研究所埋蔵文化財センターが発表した。部材2点から729年、730年という伐採年が得られた。東塔建立を730年とする扶桑略記と一致する結果だ。

 東塔については、藤原京から移築・移建されたのか、平城京遷都後に新築されたのかを巡る論争があった。だが奈良文化財研究所の鈴木嘉吉元所長は「今回の結果は移建説の否定につながる」と言う。東塔は「先に建てられた西塔をまねて白鳳様式を採ったと考えられる」(鈴木氏)。つまり白鳳時代への憧憬は、すぐ後の時代である奈良期から始まっていたことになる。

 東塔の躍動美は豊かな旋律に喩(たと)えられ、「凍(こお)れる音楽」と称される。大修理が完了し伽藍が姿を現すのは東京五輪・パラリンピックが開かれる2020年。東塔を中心に白鳳伽藍から聞こえる音楽に、世界が耳を澄ますに違いない。

文 奈良支局長 浜部貴司

写真 三村幸作

 《交通・ガイド》薬師寺へは近鉄西ノ京駅から徒歩約3分。仏教の根本は仏・法・僧の「三宝」であり、仏を安置する金堂、教えを説く大講堂とともに、僧が学ぶ食堂は重要な施設とされる。地鎮の法要「鎮壇具埋納式」は2月に行われた。

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