教育「お上任せ」にせず工夫 立命館大学教授 陰山英男さん(私のかんさい)
「百ます計算」兵庫から普及

2017/3/9 6:00
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 ■立命館大教授の陰山英男さん(59)は1980年に岡山大法文学部(現法学部)を卒業後、兵庫県尼崎市の小学校をはじめ関西各地で教鞭(きょうべん)を取ってきた。

 かげやま・ひでお 1958年兵庫県和田山町(現朝来市)生まれ。小学校教員時代に導入した「百ます計算」などで注目を浴びる。2006年に政府の教育再生会議委員、08年に大阪府教育委員に就任し、教育制度改革などに尽力した。
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 かげやま・ひでお 1958年兵庫県和田山町(現朝来市)生まれ。小学校教員時代に導入した「百ます計算」などで注目を浴びる。2006年に政府の教育再生会議委員、08年に大阪府教育委員に就任し、教育制度改革などに尽力した。

 大学時代に目指していたアナウンサーの試験に落ち、しかたなく親から薦められて教員資格を取った。だから学校の現状についてはほとんど知らなかった。

 小学校に赴任早々、ショックを受けたのは、家庭環境や経済力の差が、児童の学力に露骨に表れていたことだ。私立中学を目指して学校より塾の勉強を優先する子がいる一方、勉強についていけずに不登校となる子が大勢いる。

 狭い範囲に様々な層の家庭が混在する地域の多い関西では特に学力格差が激しく、いじめや校内暴力の問題も多かった。毎朝、不登校の子の自宅に迎えに行ったり、遊び場からの帰りを待ったりと頭を悩ませた。親から「何で来るんや、帰れ」と怒鳴られ、家の掃除を手伝って信頼を築き、子供が学校に戻るよう協力してもらったこともある。

 当時は詰め込み教育が激しい時期で、学力格差や不登校などは全国的な現象だった。問題が根深い関西だからこそ「目の前の児童の学力を上げたい」という現場の意識が高まった。

 ■89年に兵庫県朝来町(現朝来市)立山口小学校に赴任し、「百ます計算」などを導入した先進的な学習法が教育関係者の目に留まる。

初任地は尼崎市の小学校だった(1981年)
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初任地は尼崎市の小学校だった(1981年)

 百ます計算はもともと、神戸市の小学校に勤めていた岸本裕史先生が子供の基礎学力を高めるため、費用がかからず、家庭でも取り組みやすい学習法として開発したものだ。教員の勉強会を通じて知った私は、山口小で全面的に取り入れるよう提案した。

 他の地域の教員からは「押しつけ教育だ」と反発も受けたが、兵庫の旧鉱山地区に住み、職を失ったある保護者の声が背中を押した。「うちの子に社会で生きる力をつけてほしい」と切実に訴えられた。

 4年間教えるとみるみる学力が上がり、読書力や人前で話す力も身についた。全国平均よりはるかに高い成績表を見て「僕でもやればできるんや」と笑う児童と、それを見て涙ぐむ両親の姿がうれしかった。

 ■近年でも学習指導要領の見直しや大学入試制度改革など、どう若者の学力を高めるかが大きな課題だ。

 現在の国の教育制度の議論は、詰め込みと、その反動で生まれたゆとりの双方の反省でもがいている状況。僕が政府の委員だった10年前から学校教育の目標が定まらないのが問題だ。

 もともと関西には教育を「お上任せ」にせず、学校と保護者らが一体となり、自由な教育法を貪欲に取り入れ、育てる素地がある。

 山口小では保護者に働きかけ、子供にしっかりと朝食をとらせるようにした。勉強に必要な集中力を高めるためで、多くの児童の成績が飛躍的に伸びた。僕が関わる京都の小学校では、ロボット作りを教育法に取り入れたところ、数学の楽しさに目覚めて高校の問題を解ける子まで現れた。

 こうした試みに関西各地の教育関係者が強い関心を持ってくれ、自校で生かす動きも目立つ。教育現場の自由な発想を社会全体で支えることが大切だろう。

 若者を育てても首都圏に出てしまうとの指摘もある。だが、関西にとどめるのではなく、優秀な若者をどんどん国内外に送り出そうじゃないか。世界の関心を関西にひき付けることになり、街の発展にもつながるはずだ。教育へのハングリー精神を、関西復活のエンジンとしてほしい。

(聞き手は 大阪社会部 岩沢明信)

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