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熊野信仰の原点に鎮座 神倉神社のゴトビキ岩(時の回廊)
和歌山県新宮市

2017/8/10 17:00
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 鳥居をくぐり、自然石を積んだ538段の石段を上る。源頼朝が寄進したと伝わる石段を息を切らして上り切ると、眼前の巨岩の迫力に圧倒される。長い部分で幅は8メートル以上。ぐるりと巻かれたしめ縄は長さ30メートル、重さ200キロほどもあるという。まさに威容だ。

■最初に降臨の地

ゴトビキは「ヒキガエル」の意味。形状が似ていることから名付けられた
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ゴトビキは「ヒキガエル」の意味。形状が似ていることから名付けられた

 和歌山県の東南部、太平洋に面した新宮市を見下ろす神倉山。切り立った山の頂近くに鎮座する神倉神社のご神体「ゴトビキ岩」は、長く信仰の対象としてあがめられてきた。

 岩がおもむろに横たわるのは標高89メートルほどの山頂近く。振り返ると眼下に街並みが広がり、遠く熊野灘に船が行き交うのが見える。傍らの社殿の朱色が岩肌によく映えるが、岩に比べて建物があまりに小さすぎるため、まるでミニチュアのよう。ゴトビキとはヒキガエルの意味で、形状が似ていることから、そう呼ばれるようになったという。

 神倉神社は近接する熊野三山の1つ、熊野速玉(はやたま)大社(新宮市)の摂社だが、市教育委員会学芸員の小林高太さんは「熊野信仰の原点とも言える場所」と言う。

ゴトビキ岩まで急な石段が続く
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ゴトビキ岩まで急な石段が続く

 平安期以降、京都の貴族を中心に熊野信仰が盛んになる中、神倉山は諸国を遍歴した熊野の神が熊野で最初に降臨した聖なる地と位置付けられた。さらに「日本書紀」などに登場する神武天皇が東征の際に登った天磐盾(あめのいわたて)の山であるとも考えられるようになった。

 地名の「新宮」は速玉大社をさす。三山の1つ、熊野本宮大社(同県田辺市)に対する呼称と誤解されることも多いが「当初、信仰の中心だった神倉神社が『元宮』で、そこから中心が移った『新宮』という意味」と小林さんは言う。

 熊野信仰はこの巨岩から始まったともいえよう。岩の周辺からは経典を収めた平安期の経筒のほか、銅鐸(どうたく)の破片など、弥生時代の出土品も多い。神話の時代から長く信仰の対象となってきたことは間違いない。古代の人々はこの巨岩を前に何を思ったのか。思いを巡らせると、時がたつのを忘れてしまう。

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 ゴトビキ岩が形成されたのは1500万年前から1400万年前と考えられるという。広範囲にマグマが活動する過程で原形が地下で形作られ、隆起と浸食を繰り返した後に風化し、現在の形になったとされる。和歌山大学の後誠介客員教授(地質学)は「巨岩自体は全国に少なくないが、これだけ丸みのある岩が山頂近くに位置するのは非常に珍しい」と話す。

■同時期に那智滝

 ゴトビキ岩と同じ時期に形成されたとみられるのが有名な那智滝(同県那智勝浦町)。三山の残る1つ、熊野那智大社(同)と深いかかわりを持ち、隣接する別宮、飛瀧(ひろう)神社のご神体とされる。落差約133メートルの威容もまたゴトビキ岩ともども熊野灘に浮かぶ船から目にすることができるといい、古来、信仰の対象とされてきた。熊野信仰が自然への畏敬の念に端を発していることがよく分かる。

文 大阪・文化担当 田村広済

写真 淡嶋健人

 《交通・ガイド》JR紀勢本線新宮駅から歩いて15分ほどで神倉神社の入り口に着く。ゴトビキ岩までは急な石段が続く。関係が深い近隣の熊野速玉大社も併せて訪れたい。

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