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芸能の聖地 庶民と共に 生國魂神社の大阪薪能(時の回廊)
大阪市

2016/9/9 6:00
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 空の色が刻々と濃くなる夏の夕暮れに、薪に照らされ能舞台が浮かび上がる。舞台の上では童女巫女(みこ)を伴った女官が謡い舞う。8月11~12日、生國魂(いくくにたま)神社(大阪市天王寺区)で夏の風物詩、大阪薪能が開催された。集まった約1500人の観客は厳しい残暑を忘れ、幻想的な光景に見入った。

■戦後復興の象徴

生国魂神社の境内にしつらえた舞台で開催された大阪薪能(8月11日、大阪市天王寺区)
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生国魂神社の境内にしつらえた舞台で開催された大阪薪能(8月11日、大阪市天王寺区)

 11日に上演されたのは、生國魂神社を舞台にした「生國魂(いくたま)」。平安期に天皇の即位の儀礼として執り行われた「八十島祭」を題材にした、荘厳な作品だ。生國魂神社の祭神である生島大神・足島大神は国土の守護神とされ、宮中祭祀(さいし)との関わりが深かったことに由来する。大阪薪能が第50回を迎えた2006年に初演されて以来、この場所でだけ上演されている。

 大阪薪能のきっかけは、1956年の社殿再建にあたって奉納された奉祝能だった。太平洋戦争の戦火で焼失した社殿は、49年に再建されるも、50年のジェーン台風で再び倒壊。度重なる厄災を乗り越えての復興は、戦後復興の象徴とも重なった。娯楽の乏しい当時、薪能は人々に大きな感動をもたらした。再演を望む声が多く寄せられ、57年から定例化したという。

 今では全国各地で薪能が開催されるが、観光協会や地方自治体による主催が多い。大阪薪能は能楽協会大阪支部と神社の氏子らで組織する大阪薪能委員会という民間組織が主催しており、「町人文化の町という大阪らしさが現れている」(神職の中村文隆さん)。

神社本殿は独特の建築様式だ
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神社本殿は独特の建築様式だ

 能シテ方の5つの流派(観世流、金春流、宝生流、金剛流、喜多流)の全てが出演しているのも珍しい。2日間の出演者は約100人に及ぶが、全てノーギャラだという。能楽協会大阪支部長でこのほど人間国宝に認定された大槻文蔵さんは「戦後、能楽が低迷していたころに、市民の関心を高めようとして始まったもの。今でも、初めて能を見る人への入り口となることを目指している」と話す。

 生國魂神社と芸能の関係は深い。豊臣秀吉が大坂城を築城するにあたって現在の地に遷座するはるか昔から、折に触れて能が上演されていたという。一般的に能楽は武家の文化とされるが、江戸期の大坂は幕府直轄で、「殿様がおらず、町人の文化として能が盛んになった」(大槻さん)

■境内で漫才・講談

 江戸期には、参拝客にむけて様々な芸能が技を競った。上方落語の始祖とされる米沢彦八は、境内に建てた小屋で話芸を披露した。漫才や漫談、講談なども盛んに行われたという。中村さんは「社格の割に開放的な雰囲気で境内も広かったことから、様々な芸能の発表の場として使われたのではないか」と推察する。

 薪能のほかにも、9月の第1土曜・日曜日には上方落語家による「彦八まつり」が開催されるなど、今も神社と芸能の結びつきは強い。時代を超えて様々な芸能を受け入れる懐の深さの表れなのか、境内には近松門左衛門をはじめとする文楽関係者をまつった浄瑠璃神社や井原西鶴や織田作之助の銅像、米沢彦八の記念碑などが並んでいる。

文 大阪・文化担当 小国由美子

写真 大岡敦・尾城徹雄

 《交通・見どころ》大阪市営地下鉄谷町九丁目から徒歩4分。現在の社殿は1956年に鉄筋コンクリートで再建されたが、伝統にのっとった建築様式を踏襲する。最大の特徴は神体を安置する本殿と祭儀を行う弊殿が1つの屋根で覆われて、正面から見ると屋根が3重に連なる独特な形。生國魂造と称され、同様の様式は他の神社には見られないという。

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