三笠宮さまが逝去 昭和天皇の末弟、100歳

2016/10/27 11:45 (2016/10/27 13:50更新)
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 昭和天皇の末弟で天皇陛下の叔父、三笠宮崇仁(たかひと)さまが27日午前8時34分、心不全のため入院先の聖路加国際病院(東京・中央)で亡くなられた。100歳だった。宮内庁によると、記録が残るなかで100歳を超えた皇族は三笠宮さまだけで、史上最長寿だった。同庁は葬儀の日取りなどの検討を始めた。

新年一般参賀で、宮殿・長和殿のベランダから手を振られる三笠宮さま(2015年1月2日)=共同
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新年一般参賀で、宮殿・長和殿のベランダから手を振られる三笠宮さま(2015年1月2日)=共同

 三笠宮さまは5月16日に急性肺炎と診断され、同病院に入院。天皇、皇后両陛下は6月30日、三笠宮さまを見舞われた。三笠宮さまの症状はいったん落ち着いたものの、心臓の機能に低下がみられ、治療が続いていた。宮内庁によると、27日午前7時40分すぎに容体が急変し、妻の百合子さま(93)が最期をみとられたという。天皇、皇后両陛下は7日間、喪に服される。

 皇位継承順位は5位。三笠宮さまの逝去で、天皇と皇族からなる皇室は19人に、皇位継承資格者は4人に減った。

 三笠宮さまは第1次世界大戦さなかの1915年(大正4年)12月2日、大正天皇の第4皇子として誕生。学習院中等科を経て陸軍士官学校、陸軍大学校に進み、大本営陸軍参謀として勤務されたが、戦時中の陸軍の戦争指導には一貫して批判的な姿勢を示された。

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 戦後は歴史学者の道を歩み、東大文学部研究生として古代オリエント史を専攻。海外の史跡調査など精力的に活動された。54年には日本オリエント学会を設立し、会長に就任。翌年から東京女子大や青山学院大の講師として20年余り教壇に立たれた。テレビ、ラジオの市民講座にも出演し、率直な発言と気さくな人柄で親しまれた。

 また、戦後間もないころに昭和天皇の生前退位や女帝を容認する意見を表明。神話に基づく紀元節(現在の建国記念の日)復活に反対するなど、歴史学者らしい合理的な考え方を持たれていた。

 41年に高木正得子爵次女の百合子さまと結婚。寛仁(ともひと)さま、桂宮宜仁(よしひと)さま、高円宮憲仁(のりひと)さまと、近衛忠煇・日本赤十字社長夫人の長女●子(●はうかんむりに心に用、やすこ)さん、千宗室氏夫人の次女容子(まさこ)さんの3男2女に恵まれた。

 しかし、高円宮さまは2002年11月に47歳の若さで急逝。12年6月には寛仁さま、14年6月にも桂宮さまが共に66歳で亡くなられ、お子さま方に相次いで先立たれた。

 三笠宮さまは01年9月に軽度の慢性硬膜下血腫で手術を受けられ、回復。08年6月には心臓の弁がうまく閉じずに血液が逆流する持病の「僧帽弁閉鎖不全」による急性左心不全で入院された。96歳だった12年7月には僧帽弁閉鎖不全の手術を受け、順調に回復されていた。15年12月には100歳(百寿)を迎えられた。

 三笠宮さまの逝去を受け、宮内庁は27日、11月1日に予定していた天皇、皇后両陛下主催の園遊会を中止すると発表した。また27日午後に予定していたフィリピンのドゥテルテ大統領と天皇陛下との会見も取りやめる方針。

 園遊会は、過去に昭和天皇が死去した1989年や東日本大震災が発生した2011年などに中止されたケースがある。

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