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「縮む町」開かれた町に 出会いとビジネス創造
歩みは続く(5)

2016/3/7 3:30
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 「みんないきいきとしている」。今月1日、岩手県釜石市の復興住宅で開かれた住民と地域住民との交流会。一緒に合唱などのプログラムを楽しむ姿を見て、市の復興支援員「釜援隊」の二宮雄岳さん(49)は手応えを感じた。

駅と商業施設が開業し、新しい町づくりが進む宮城県女川町

県外から支援者

 釜援隊は2013年に市が国の復興支援員制度を使って立ち上げた。メンバー13人は自分の得意分野を生かして復興を手助けする。大半が県外出身者だ。二宮さんは2年前「残りの人生は世の中に尽くす」と決め、神奈川県内の信用金庫を辞めて移住した。

 信金時代に培った交渉力を発揮し、行政と住民のつなぎ役として復興住宅の自治会設立や維持などを手伝う。「行政任せのコミュニティーの再構築は続かない。住民が自ら動かなければならない」と力を込める。

 釜石市の人口は東日本大震災後に約4千人減り、約3万6千人。市は釜援隊のような市外の人材を積極的に活用し、人口減少社会に取り組む方針を打ち出している。

 策定を進める総合戦略にも「つながり人口」という概念を盛り込んだ。定住人口にこだわらずボランティアや観光客ら市外の人々と密度の濃い関係づくりを目指す――。19年のラグビーワールドカップの開催地は好機となる。市の「まち・ひと・しごと創生室」の石井重成室長(29)は「住民票に表れない『釜石ファン』を全国に増やし、町の維持、発展につなげたい」と意気込む。

「職住分離」進む

 震災後の人口が7千人を割った宮城県女川町。減少率は県内最大の37%だ。津波でJR女川駅も流され、町全体が壊滅的な被害を受けた。現在、住まいは高台、職場や商業施設は港近くと「職住分離」の新しい町づくりが進む。昨年3月に女川駅、同12月に駅前の商業施設が開業したほか、若い人たちの新しい動きも出ている。

 NPO法人「アスヘノキボウ」は昨年10月から、町内のシェアハウスに宿泊する「お試し移住」を始めた。町の魅力をブログで発信することなどを条件に最長30日間、無料で利用できる。

 京都市の男性(26)はシェアハウスに滞在中、町内にランチ営業の店が少ないと感じ、昼間にバーの店舗を借り定食屋を営業した。地元のかまぼこ店との縁も生まれ、京都で経営する飲食店で提供するという。「今後も出会いとビジネスチャンスのある女川と関わっていきたい」と話す。

 同法人代表理事の小松洋介さん(33)は「開かれた町というイメージが大事で、必ずしも定住につながらなくていい。何らかの形で町と活動を共にする人口を増やしたい」と強調する。

 震災は被災地の沿岸部に急激な人口減少をもたらした。「縮む町」をどうすればいいのか。東北大大学院の姥浦(うばうら)道生・准教授(都市計画)は「被災自治体の一部は人口や産業の規模だけでまちの活力を判断する考えを転換し始めている」と指摘。「住民が主体的に関わり、『身の丈』に合った復興の姿を求めることは人口減少社会に新たな価値観を示す」と話している。

(おわり)

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