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春秋

2015/4/10付
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 「満蒙は日本の生命線」とは昭和6年にのちの外相、松岡洋右が初めて唱え、世に広まったスローガンである。満州(中国東北部)と内モンゴルは戦略的にも経済的にも、日本の存亡がかかった地域だという意味だ。これと並べてじつは、もうひとつ生命線論があった。

▼「南洋は海の生命線」。そんなタイトルの本が出たり映画がつくられたりしている。しかしさほど知れ渡らなかったのは、やがて太平洋が戦場になるとは一般の想像が及ばなかったためだろう。サイパン、トラック、パラオ……。日本の委任統治下にあった群島には、矛盾をはらみつつも穏やかな歳月が流れていたという。

▼太平洋戦争はまさに太平洋の、こうした美しい島々をめぐる攻防であった。海と島はにわかに戦場となり、おびただしい数の人々が落命した。玉砕というむごい死が無数にあった。きのうペリリュー島で天皇、皇后両陛下は慰霊碑に白菊を供え、十数秒間も拝礼された。去来した思いは果てしなく痛切であったに違いない。

▼満蒙を生命線と呼んだ日本だが、最後には海の生命線が運命を決める。島々の陥落はそのまま本土空襲につながったからだ。満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、日本のあり方を考えていくことが極めて大切だ――。ことしの年頭の、天皇陛下の所感である。2本の生命線にまつろう悲劇に、どう目を凝らそう。

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