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春秋

2017/5/15 2:30
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 別に聞き耳を立てているわけではないけれど街角で、車中で、酒場で、ひと様の会話に、思わず引き込まれてしまうことがある。最近、「ヘアドネーション」という言葉に出合った。医療用かつらを18歳以下の患者に無償提供するため、毛髪の寄付を募る非営利活動だ。

▼居酒屋で隣りあった女性は、30代半ばだろうか。有期契約の仕事が近く終わるのを機に、豊かな黒髪を30センチ以上切り、寄付するつもりだという。突然、髪形を変えると職場の人たちはあらぬ詮索をしがち。だから退職を待って切る。今からその日が来るのが待ち遠しい、と友人に打ち明けていた。理由を聞いて泣けてきた。

▼女性は10代でがんを患い、治療の副作用で髪の毛を失った。「眉毛も、まつ毛も抜けて不良少女みたいだったの。嫌になっちゃった」。笑顔で回顧していたが、当時は級友の見舞いも拒み、ふさぎ込んでいた。外出してみよう、という気持ちが芽生えたきっかけは、ロングヘアの医療用かつらを手にしたときだったという。

▼病を克服し恩返しするのだ。かつらに合うよう髪を切り整えるなどドナーの善意を支える美容室も各地にあるそうだ。女性は「若いころは闘病でおしゃれや恋に縁がなかった。今は本当にきれいになりたい」。暴力や不寛容に満ちたこの世界の片隅にあなたのような人がいてくれてありがとう。あの時、そう伝えたかった。

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