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シベリア抑留者たちの戦後 富田武著 帰還促進運動と日ソ交渉の曲折

2014/2/5付
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 来年は、第2次世界大戦の終結70年である。この間、ヨーロッパにおいて、ベルリンの壁の崩壊を嚆矢(こうし)として、東欧の解体、ソ連の消滅などが続き、いわゆるソ連の桎梏(しっこく)から解放されたのだった。

(人文書院・3000円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)
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(人文書院・3000円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

 しかるに、現在の我が国とロシア(旧ソ連)との戦後の関係はどうだろうか。北方四島の返還問題が未解決のままであり、シベリア抑留の実態解明は、旧ソ連の公文書の閲覧が可能となり、ようやくその途に就いたばかりである。

 1945年8月9日以後、ソ連軍は60万~70万の武装解除した日本軍将兵および民間人を強制連行し、最後の抑留者は56年12月26日に帰国した。その間、約6万~10万人が死亡したといわれている。

 本書によると、初めて日本人のシベリア抑留の事実が判明したのは、46年12月19日の米ソ協定による引揚決定によってで、その協定に先立って12月5日に雲仙丸が函館に、9日に大久丸、恵山丸が舞鶴に到着し、約7千人の抑留者が上陸した。これによってソ連における悲惨な虜囚生活が明らかになり、多種多様な引揚促進運動が本格化する。

 しかし、第2次世界大戦末期から醸成されてきた米ソ冷戦が一層顕在化し、例えば、帰還船内での、「赤旗グループ」と「日の丸グループ」との一触即発的対立、舞鶴港でも両陣営の引き抜き合戦などが展開される。引揚運動の保守系と共産党系の対立は、米ソ冷戦の反映であり、帰還促進団体も離合集散する。

 結局、日本政府は、抑留者の帰還を急がせるために、領土問題で譲歩し、さらに抑留中の労働に対するソ連政府の支払い義務までも免除するといったきわめて屈辱的な交渉に臨んだのだった。

 今なお、シベリア抑留に対する道義的な責任のあるロシア側が、抑留者の死亡者名簿の一部、登録簿、登録カード以外何一つ日本側に渡さず、また日本政府もロシア側に公文書の手交を要求せず、登録簿や登録カードを受領した厚労省は個人情報保護法を盾にそれらを秘匿しているのだ。こうした及び腰の姿勢こそ、ロシアに依然として北方四島の実効支配を許し、その返還交渉をも蔑(ないがし)ろにさせてきたのではあるまいか。

(法政大学名誉教授 川成洋)

[日本経済新聞朝刊2014年2月2日付]

シベリア抑留者たちの戦後: 冷戦下の世論と運動 1945-56年

著者:富田 武
出版:人文書院
価格:3,150円(税込み)


※価格情報は掲載時のものです。

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